カンボジアの歴史とモリンガ

カンボジアといえばアンコールワット。
それ以外のイメージは貧困、でしょうか。

日本にはあまり馴染みのないカンボジア。
日本と飛行機の直通便が無いため、中国などを経由しなければカンボジアへは行けないことも馴染みのない原因のひとつかもしれません。※2017年現在

実はカンボジアにもイオンがあります。

しかも流行っていて、今後店舗数をどんどん増やすそうです。

カンボジアはもともとクメール人が暮らすクメール王朝。
クメールロハスのブランド名も「クメール人達のロハス」からきています。
アンコールワットもクメール王朝の遺産であり、農業も盛んで豊かな国でした。
ですが、その後は暗黒時代と呼ばれるほど戦争続きの国でした。

19世紀、タイやベトナムとの紛争に耐えきれなくなったカンボジアがフランスを頼り、フランスの保護下に入りました。
植民地だったというイメージもありますがそれは後期で、最初はフランスとカンボジアの関係は良好で「保護してもらっていた」が正しい表現のようです。

一度は平穏を迎えたかと思えば、世界大戦がはじまりフランスはドイツにやぶれ、フランス領だったインドシナ半島のほうに日本が侵略してきます。
この頃はすでにフランスの植民地支配は過酷で、カンボジアは一度独立を宣言するものの、第二次大戦後はフランスの植民地に戻されました。

ですがフランスの支配下から脱却するための独立運動は強さを増し、1953年11月、カンボジア王国として独立します。
ですが独立後は内戦が続く状態でした。

1970年。アメリカとベトナムとの戦争「ベトナム戦争」は泥沼化し、ベトナムに密接しているカンボジアも空爆の対象になり、インドシナ半島全体が戦火に巻き込まれていきます。
緑豊かな、ジャングルだったカンボジアは農業生産出来ないほど爆撃で破壊され、カンボジアは飢餓に苦しむ国となりました。

カンボジアの歴史で有名なポルポト政権、クメール・ルージュによる虐殺と飢餓は100万人以上の死者を出し、1975年からわずか4年で人口は3分の1まで減少し、さらに内戦は泥沼化しました。
内線が終わったのはなんと1990年。
長い長い内戦にようやく終わりがきました。

ところが農業は爆撃で破壊、木も焼かれ、地雷問題、貧困・飢餓、教育の不足からカンボジアを立て直すのは中国、アメリカ、日本、オーストラリア、韓国などさまざまな国が支援し豊かになりましたが、まだ依然として貧しい国の1つです。
都市部だけみれば豊かですが、貧困の差が激しい状態になっています。

カンボジア国内の食糧生産は十分ではなく、特に野菜はベトナムからの輸入がほとんどです。
そのため野菜は高級品であり、カンボジアは慢性的な栄養不足に陥っていました。

そのカンボジア人達の栄養補助としてモリンガは注目され、計画生産されました。
カンボジアの土地は戦争によって農業が出来なかったため土壌の状態が非常に良く、栄養豊富。
モリンガはとても豊富な栄養素を含んだ状態で生産され、カンボジアの栄養不足を補う重要な野菜として活躍しました。

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